”平戸ザビエル記念教会”にいってみた。

平戸はきれいな島です。

次は”平戸ザビエル記念教会”にいってみた。っていうか”平戸”にいくって結構遠いです。福岡から平戸に行くのと 長崎市内から平戸に行くのと 同じぐらいの距離なのかな~って思うくらいの距離です。長崎から高速で 福岡方面に走って 途中から佐世保方面、平戸大橋を渡って平戸に入る。これが結構、広い島で景色が最高に良いです。平戸大橋は赤橋で なんかもう一つって感じはあるが、平戸から生月島にいくときに渡る橋がブルーで 天気のいい日の青空に映えて すごくきれいな橋です。 この生月島にもいくつかの隠れキリシタンの協会があって ここも見に行きましたが・・・。ほんとう こんな田舎にこんな洋風な教会があるって ほんと面白い地方ではあります。海もすごくきれいで なんでも釣れそうで 釣り好きにとっては最高に良い所です。

ザビエル記念教会

平戸大橋をわたってすぐに この”平戸ザビエル記念教会”があります。この教会は昭和6年に建てられて 昭和46年にザビエル像がこの教会の脇に建てられたことから ザビエル記念教会を言われてるそうだ。


■門には やっぱ名称が・・・。


■教会って”シャトー”って感じ・・・。

時代的に阻害されてたキリスト教

時代のせいか、キリストはそういや~”ヤソ”とかいわれて 徳川時代はキリストは禁止されていた。その昔の信長の時代にはキリストは認められていたみたいだが、豊臣とか徳川の時代は、禁止だったと思う。少し前のnhkの”龍馬伝”とかを見ていると ヤソは人間を食うとか言って恐れられていたというか なんか言われ方がひどい さすがに村社会の日本特有の文化だと思うが なにぶんにも”士農工商”のような ひどい差別社会だったために そんな村社会的なものが出来たんだろうが 人々にも教育はなく キリストの考え方を理解しようにも そのすべがなく、信長は社会を変えようとする革命家だったので やっぱそういう差別社会をなくそうと真剣に考えたから キリストを受け入れていたんだと思うが その分信長は頭のいい紳士だったのだと思う。その頃の人間はやっぱ 動物に近いぐらいの品位で いきるのにも大変な時期だったんだろうが。


■高い

高文化圏の宗教

キリストはやはり 高文化の国から来た考え方なので 日本は発展途上で理解しにくいし また、人間みな平等という考え方は 反乱を起こしかねない考え方で 不平等社会にとっては非常に魅力的な考え方で こんなのが広まると そこに少し頭のいい人間が入ると国はひっくり返ってしまう、それは鎖国状態のこの国には恐ろしい文化だったんだろう。わかりますが、やがて日本は遅れてるということが分かり 考えを改め海外文化をいち早くと入りれようとした、その辺は大変賢明な国ではあると思うが・・・。


■見晴らしがいい正門前。

本物には負けてる建物

しかし、この建物も晴れてる日には 見栄えの素晴らしい教会ではあるが、ヨーロッパの教会には雲泥の差があるので 言い方は悪いが 少し簡単すぎてほしいって所もありますが、イタリアの協会とか フランスのものはすごいですから・・・・。

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