難波神社 ”氷室祭”の催し物 太鼓がすごい!!大阪市内のど真ん中で響いてる。
今年の夏は、近所の難波神社 難波神社は知ってましたが、この”氷室祭”は知らなかった、毎年7月20日21日に行われているそうです。氷の奉納と和太鼓セットで・・・。難波神社は 大阪御堂筋沿いぐらいにあって 本当、心斎橋がちかい街の中にある。よく正月とかお参りに行くところですが、毎度のことで
今年の夏は、近所の難波神社 難波神社は知ってましたが、この”氷室祭”は知らなかった、毎年7月20日21日に行われているそうです。氷の奉納と和太鼓セットで・・・。難波神社は 大阪御堂筋沿いぐらいにあって 本当、心斎橋がちかい街の中にある。よく正月とかお参りに行くところですが、毎度のことで
鳩山会館、会館というよりは、鳩山由紀夫さんのおじいさん 鳩山一郎さんの家です。でかいんで邸宅です。鳩山一郎さんは非常に 有名な方ですから やっぱ家もでかい。孫の鳩山由紀夫さんもかわりものの総理大臣になりましたが・・。
東京、サレジオ教会に このサレジオ通りをバスで バス停で降りると 目の前がサレジオ教会です。でも、東京をバスでいくのもいい感じです。街並みがたのしい、マンションや 混雑した街並みや電柱や 所によっては大阪より乱雑で庶民的なところもある。いいですね・・・。こんな庶民的な東京をバスで行く
東京国立博物館に行ってみた。当日は5月の雨で 少し寒空って感じの日でしたが・・。上野駅を出て めっちゃ歩きました。途中の博物館の方に歩く道なりの公園で フェスティバル的な催しものがやってました・・・
岩崎弥太郎邸に行ってみました。豪邸にありがちな上り坂をのぼっていく。この道が長いほど金持ちかな~って感じですが・・・。5月の中旬で 見えてきた庭園は屋敷が工事中で 正面が見栄えしなかった・・・、残念。でも、中に入って 屋敷を見て 裏庭に回って 横の方を写真にとって 実にでかい。初めて見たって感じの豪邸です、
5月中旬に東京の”小笠原伯爵邸”で食事を・・・。非常に美味しかった。建物も素晴らしかったです。旧小倉藩主の小笠原伯爵のご自宅ですか・・・。スパニッシュ様式の鉄筋コンクリート 2階建てです。若松河田駅で降りて、住宅地の中を歩いていくとありました、
大阪城に ”ミライザ大阪城”ってのがあります。昔はなかったけど 最近できたのかな~、気が付かなかったです。大阪城は、大阪人のいこいの広場で 大阪城に入ったところは 森的な広場で中の方に行くと スポーツができそうな運動場や その先には堀があってその堀を渡れる橋がある、
国道42号線を湯浅に向かっていくとっていうか 高速を湯浅で降りて 白浜に向かっていくと 湯浅に入るとしょうゆ工場の見学やらで、このへんは湯浅醤油という会社で 工場見学とかをやってる会社だと・、結構、駐車場もひろく 車を止めて少し外を満喫できます。じゃなくって・・・。湯浅漁港に向かって 国道を右にきると
場所は初めてにしては 少し分かりずらかったが、要は有田警察署の横ですか?駐車場もひろく 店の前にも止められるし 道路の向こうにも臨時の広い駐車場もあったので 車の心配はなし。当日は、すこいし早めについてしまって もう一度時間に(10時だったっけ)来ますっていって 再度来たらもう
一時期、こってた工業地帯、コンビナートでしょうか?特に海岸べり 海沿いにほぼありますが、全国でもたくさんあります。大阪だと大正区とか、堺市のほうとか これが絶景です。あと、三重県の長嶋スパーランドの上を 高速でいくと見えてくる工業地帯!
戦後地銀として なんで池田市に創業なのかと思うと やっぱ、小林一三の関係で、創業時、小林も顧問として名をつらね、のち 阪急、東宝グループの傘下となったらしい。のちに、泉州銀行と合併し 池田泉州銀行となったらしい。池田銀行本店である。池田市はやっぱ 小林一三なくしては語れない、阪急の地元って感じがします。
小林一三の岐路は、日露戦争後 三井銀行勤務後 先輩諸氏の誘いで大阪 北浜で証券会社を設立する構想があり、そこの支配人なるため大阪にきた。ところが、恐慌のあおりを受けて 証券会社の話がなくなってしまう。妻子をかかえ路頭に迷いそうになった彼に 箕面有馬電気鉄道の話が耳に入り、
阪急の小林一三邸 中に入ってみた。入場は一人300円ぐらいだったと思いますが・・。受付でチケットをかって 朝10時いちばんに入ってみた。なかは、まだ 掃除されてる方がおられた。結構親切な対応で ありがとうございますって感じだった。
大阪といっても 兵庫との境目あたり!池田といえば、空港、伊丹空港がある その他池田といえば池田銀行の本店、池田といえば、おいしいお酒”呉春”がある。その他、この小林一三の旧邸があり、無形文化財として残されている。
どうも、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だったそうだ。相馬九方をたずね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在。火鉢にあたり番茶をすすり、煎餅をかじりつつ、日本の将来について夜を徹して語り明かしたそうだ。
しかし、銀行が多いですね。岸和田は相当栄えていたんでしょう。この紀州街道は どうやら大阪中央区の高麗橋から、和歌山に抜けるメイン通りだったんでしょう。東海道と同じような主要道路で、この界隈には”はたご”、旅館的なものの跡がたくさん立ち並んでいる。
岸和田城を下っていくと 紀州街道がある。このあたりも結構、見どころが多い。特に旧銀行の建物 今は他の銀行だったり役所だったりしますが、また、レストランとかだったりしますが・・・。どのビルもやっぱ お金かかってます的な また、レトロ感が最高の建物ばかりで 大阪市内のもたくさん残ってますが、やっぱ、この岸和田界隈にもおおいはず。
これも 渡辺節の設計で そのほか この坂を下っていくと紀州街道があって そのへんのレトロビルも渡辺作のものがあった。この時代の渡辺節はすごい 大阪の高級といわれるビル その他、神戸の高級住宅等 作品が非常に多い。
このへんの天保山、海遊館ができたころにこの地下トンネルができて 南港、北港の近代化っていうか?いろんな娯楽施設や、南港にいたっては、たくさんの住宅マンションができて 待ち状態になっていますが、まだまだ発展中です。そのトンネルの際ぐらいに このレトロビルはあります。
建物も相変わらずのすがたで 横には観覧車、この辺は北港ちかく、この天保山の地下トンネルを通り抜けると南港ですが、手前でユーターンで大阪海遊館です。手前にはサントリーミュージアム、海遊館があって 通り抜けのショッピングモールがあって、観覧車があって