京都の伏見区、坂本龍馬で有名な”寺田屋”に行ってみた。刀傷とかがたくさん残ってた。

お龍さんの活躍ぶりがすごい。

寺田屋と言えば、1866年の龍馬襲撃事件が有名だ。本当か嘘かはわからないが、龍馬の妻候補だった、お龍さんが龍馬襲撃に気づいて、すっぽんぽんのまま、事前に龍馬に知らせに来たと言うことで、どうにか龍馬が助かった。

そのような事件だったと思うが、かなり有名な事件である。もちろん、寺田屋は船宿で、当時、薩摩藩や土佐藩や長州と勤王の志士たちの隠れ家でもあったところだ。

龍馬も定宿にしていた。

京都の中心地からは遠すぎ。

今思うと、京都の武家屋敷っていうのは、四条とか三条に密集してるような気がするので、そこからすれば、この伏見区はかなり遠い場所にあるような気がする

もちろん京都奉行所からは、狙われていたので、隠れながらの行動ではあったと思うが、それにしても、ちょっと遠すぎかな。

とりあえず、この辺で作戦を立って、京都御所におられる天皇家に仕えるべく、また、天皇を取り込もうとしていたのだろうが。

傷跡がたくさん残っています。

この寺田屋に入ると、襲撃事件のときのかたな跡とかがすごくたくさん残っていて、その騒ぎが想像できるような感じではあるが、

1862年にも、薩摩藩の武士たちが狙われた騒動が起こっているので、とりあえず、尊皇派の武士たちのたまり場だったんだろう。

実に面白い。

坂本龍馬は大変忙しい。

でも、龍馬って忙しい。

この頃は長崎にいたような気がするが、土佐藩にも行かなくちゃいけないし、長崎でいろんな商売もしなくちゃいけない。

龍馬伝にあるような岩崎弥太郎と龍馬は幼なじみでは無いにしろ、ことあるごとに弥太郎は、土佐商会と言うことで、龍馬に金銭的な援助をかなりしていたようだ。

そんな恩恵もあって、龍馬の場合は、船で移動しているきがするので、移動スピードがかなり早かったはずだ、さすがです龍馬さん。

とりあえずこの寺田屋も船宿なので…。この頃の伏見区は面白すぎです。

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