”旧楠本正隆屋敷”に行ってみた。

長崎に大村市ってところがある

長崎市内から高速で大村市って所まで行くと その町の中にこの”旧楠本正隆屋敷”がある。こんな田舎街に なんでこういう大きな屋敷があるのか不思議ではありますが、しかも、今や名所になってるって どういうことなのかって感じですが。まっ、この辺は長崎県は やっぱ、昔 龍馬がカッポしただけあって 薩摩と長州のたまり場というか その辺の武士の集まりと外人 それと中国 いたって国際的な町、長崎っていうことで 当時はすごかったのでしょう。それが所以で やっぱ、要所要所に偉人が出る確率がたかいいんでしょう。


■屋敷の入り口


■屋敷の看板

楠本正隆っていう人は・・・。

この”楠本正隆”っていう人も この大村藩出身の武士で 後に大久保利通の側近として ”地租改正”などに関与し 非常に活躍した人らしい。なんか、昔のつながりは すべてこの長崎からって感じではあります。大久保は薩摩で この地方なら長州藩系でつながりを持って活躍しそうだが、なんで薩摩なんでしょう。でも、薩摩、長州についでこの長崎も その時代の流れの先頭に立っていたのかも・・・。改革にはやっぱ人が必要ですからなんでしょうか、もはや環境の問題、時代の流れの問題 その中にうまく位置づいていた人物なのかもしれないが、なんせ 一つ間違ったら殺される時代ですから。結果、大久保も暗殺されてしまった。


■ゴゼン

大久保の側近

楠本正隆はこの大村藩のもともと 偉い人で 新政府につかえて その後、大久保利通につかえ、大久保の改革に貢献したんでしょう。この長崎の知事を務め、東京の府知事を務めるまでになった。特に昔は 改革によって 特に華族制度によって 各藩のお偉方は、自動的に議員になったり 良い役職ついたりと その道付けが得割と優遇されていたんでしょうが、その中でも 有能な人間は容赦なく上に登用されたんでしょう。


■武家屋敷の庭は綺麗!


■屋敷と庭


■勝手

武家社会もそんなに変わらなかった。

龍馬伝を見ていると、大政奉還で徳川政府の力が無くなりつつあり 今後の武士の既得権とか仕事が全部なくなってしまうぐらい 世の中がひっくり返る感じで 武士が権力とか仕事とかをすべて失ってしまうっていう なんというかどんどこに落とされた その恨みを買って 首謀者に値する”坂本龍馬”は暗殺されてしまったっていう感じがありますが。ふたを開けてみると そんなに急激に時代が変わるわけではなく 徳川もどうせ新政府では国政はできず 泣きついてくるだろうとタカをくくっていたような状態で でも結局は まずは、元の要職を名前を変えて維持し 各藩政を実行し 税金の徴収とか法を中央集権にしたぐらいで 昔の武家が急に仕事がなくなったみたいなことはなく、ある程度の現状維持で。別に龍馬が恨みを買うほど世界がひっくり返ったって感じはなかったですが、龍馬が暗殺された意味もなかったんじゃない?龍馬が生きてても戊辰戦争は止められなかったとは思いますが・・・。多分、龍馬は呆れてアメリカに移住したんじゃないですか。