函館 旧イギリス領事館 いってきた。函館山ゆきのロープウェイもみえて ロケーションは最高!

目次

  1. 新島襄と小野洋子のお父さんが同志社を作った。
  2. 新島襄は明治の海軍操練所に在籍していた。
  3. リチャード・ユースデン領事
  4. マシュー・ペリー
  5. 留学組はなんか松下村塾の人間が多いような気が・・・。

新島襄と小野洋子のお父さんが同志社を作った。

函館、八月下旬はいい気候です。温度も23度ですがすがしい気分というか温度です。函館駅前から路面電車で末広町まで、そっから 山手の方角へ 少し坂道できつい・・・。でもレトロビルというか レトロな建物だらけで 風景がすばらしい。函館山ゆきのロープウェイもみえて ロケーションは最高!イギリス領事館にて新島襄をみた。函館に来る前に 自宅をテレビを見た。テレビに小野洋子がでてて 自分の家族の歴史的な番組をみていた。その時に小野洋子のお父さんが アメリカ留学中かなにかに 新島と出会って、同志社大学を作るときに新島にさそわれ 2番手の代表が小野洋子のお父さんらしいということだった。

新島襄は明治の海軍操練所に在籍していた。

大学の教授か何かで、経済学にたけてた小野洋子のお父さんはのちに銀行家となり、安田の嫁をもらった。そのため小野洋子は 安田財閥の孫となる。大変な金もちだと思いますが・・・。新島がなんで 函館なのかは、江戸末期の海軍操練所に在籍し、アメリカに密航する際に、函館経由でいったらしい。当時、函館は日本では開かれた港だったんだろう。だけど、江戸末期の海軍操練所ってあの勝海舟の、あの坂本龍馬のいた?ってなりますよね。この時代、江戸幕府が新政府軍に追われてこの蝦夷の地で政府を開いた。それが、函館で、ここに逃げ延びるのに使った船が、榎本武揚率いるもと海軍の開揚丸を筆頭に何隻かの船団だった。榎本武揚とか新島襄は旧幕府の海軍系の人間だ。このへんはのちに偉人といわれる人がが多い。


■坂道に少女の銅像が・・。


■旧領事館入口


■建物のなかは洋風の作り


■リチャード・ユースデン領事

リチャード・ユースデン領事

リチャード・ユースデンは、明治13年ごろまでこの函館に在籍していた、副領事官。このイギリス領事館の状態というか建造形態は、上り坂の両際が花畑とか芝生とか まるで公園の様で・・・。公園の中に領事館がたってるって感じの状態ですが、ユースデンは病人に病院が必要なように、健常者には公園が必要と説き、この公園を市民の為に作ったそうだ。また、このユースデン夫妻は夫婦で、この函館に遊郭で働く女郎たちの学業指導の為に西洋風の洗濯の仕方を教えた。ユースデン夫妻が帰国後も 西洋洗濯はこの遊郭の女たちがその指導を引き継ぎ、西洋洗濯が広まったそうだ。


■展示物がたくさん!


■ペリーさん

マシュー・ペリーwiki

マシュー・ペリー

黒船で有名なアメリカの軍人。当時はペルリとして有名だった。日本が鎖国中の為 日本に来航し日本の開国交渉を迫った。ペリーは、初め浦賀に入港し、久里浜に上陸。その後、琉球に寄港し滞在、その後艦隊を率いて開港要求の為 横浜に迫った。その後神奈川で、あの有名な日米和親条約を調印した。これが、日本では初めての開国で大事件だったんだろう。大老井伊直助の判断だったと思うが、安政の大獄とか桜田門外の変とかで 日本のまさに新時代の幕開けにふさわしい 事件だらけの一瞬だったと思いますが。ある意味 井伊直助も非常に優れた考えの持ち主だったんだろう。考え方が新しい、すばらしい大老だったんじゃないんでしょうか?ペリーはその後、琉球とも条約を結び、香港経由でイギリスにわたりニューヨークに帰国したらしい。実にすばらしい世界旅行でした。函館も開港されてたんでしょう。


■福士成豊 新島襄のアメリカ渡航を手助け、日本人で初めて気象観測を行った人物。

留学組はなんか松下村塾の人間が多いような気が・・・。

また、この時代にアメリカとかイギリスにいった人間には、維新の中心人物がおおい。黒船来航以来、海外に渡航し その文化・文明に非常に驚いたことと思う。その驚きが 維新の原動力になったんだと思う。そりゃそうだと思う。ビルが建ってて 機関車が走ってる、馬車もある。普通にびっくりします。日本にはない近代文明がたくさんある。この留学組はなんか松下村塾の人間が多いような気がする。松陰が海外に行こうとしていた筆頭だったからか?それにしても、イギリスとかその他のヨーロッパ、また、アメリカとか現実を見てみんな日本の愚かさに腹がたったことだろう・・・。日本がそういった海外と対抗するにはあまりにも文明が遅れすぎていた。だめだこりゃって感じですか。

福士成豊wiki